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すべて病気は、理由なくしておきるものではありません。かって気ままを慎みましょう。

養生は畏るるを以、本とす

1-37養生は畏るるを以(て)本とす
養生の道は、恣(ほしいまま)なるを戒(いましめ)とし、慎(つつしむ)を専(もっぱら)とす。恣なるとは慾にまけてつつしまざる也。慎は是恣なるのうら也。
養生の道は、勝手なる行いを反省し、慎むことに専心することであります。勝手なる行いとは、欲望にまけ、慎みをなくすことであります。慎みとはほしいままの行いの反対のことであります。


つつしみは畏(おそるる)を以(て)本とす。畏るるとは大事にするを云。俗のことわざに、用心は臆病にせよと云がごとし。孫真人も「養生は畏るるを以(て)本とす」といへり。是養生の要也。養生の道におゐては、けなげなるはあしく、おそれつつしむ事、つねにちい(小)さき一はし(橋)を、わたるが如くなるべし。是畏るなり。
慎みは、畏れが基本であります。畏れるとは、大事にすることを言うのであります。俗な諺に、用心とは、臆病にしなさいと言うようなことであります。孫真人も「養生は畏るるを以(て)本とす」と言っております。これは、養生の要であります。養生の道においては、身を賭すのは悪いことで、畏れ慎むこと、つねに小さな一本橋を渡るようなことでなければならないのであります。これが畏れと言うことであります。


わかき時は、血気さかんにして、つよきにまかせて病をおそれず、慾をほしゐままにする故に、病おこりやすし。すべて病は故なくてむなしくはおこらず、必(ず)慎まざるよりおこる。殊に老年は身よはし、尤おそるべし。おそれざれば老若ともに多病にして、天年をたもちがたし。
若い時は、血の気も多く、元気にまかせて病を畏れず、欲望のままにするゆえ、病気になりやすのであります。すべての病は、原因なくおこることはなく、必ず、慎みのないためにおこるのであります。ことに、年寄りは、体も弱く、なお畏れなければならないのであります。畏れなければ、老若ともに病多く、天命をたっすることが出来ないのであります。


七情の過て滞るは病の生る基なり。

1-39七情の過て滞るは病の生る基なり。
気は、一身体の内にあまねく行わたるべし。むねの中一所にあつむべからず。いかり、かなしみ、うれひ、思ひ、あれば、胸中一所に気とどこほりてあつまる。七情の過て滞るは病の生る基なり。
気は、全身に行き渡らなければならないのであります。胸中の一箇所にあつめてはならないのであります。怒り、悲しみ、憂い、思い、などがあれば、胸中一箇所に気が滞って集まるのであります。七情がいき過ぎ滞るのは病のおこる原因であります。


修養の道をしらずして天年をたもたず

1-40修養の道をしらずして天年をたもたず
俗人は、慾をほしゐままにして、礼儀にそむき、気を養はずして、天年をたもたず。理気二ながら失へり。仙術の士は養気に偏にして、道理を好まず。故に礼儀をすててつとめず。陋儒は理に偏にして気を養はず。修養の道をしらずして天年をたもたず。此三つは、ともに君子の行ふ道にあらず。
俗人は、欲望をほしいままにして、礼儀にそむき、気を養わず、天命を保たないのであります。理、気、二つとも失うのであります。仙術の士は養気に偏り、道理を好まない。ゆえに礼儀を捨て、努力しないままなのであります。偏屈な儒者は理屈に偏り、気を養わず、修養の道をしらず、天命を保てないのであります。この三つは、いずれも、君子の道ではないのであります。






予防するのが養生の上策であります。

聖人は未病を治す

1-36聖人は未病を治す
聖人は未病を治すとは、病いまだおこらざる時、かねてつつしめば病なく、もし飲食・色欲などの内慾をこらえず、風・寒・暑・湿の外邪をふせがざれば、其おかす事はすこしなれども、後に病をなす事は大にして久し。内慾と外邪をつつしまざるによりて、大病となりて、思ひの外にふかきうれひにしづみ、久しく苦しむは、病のならひなり。
聖人は未病を治すと言うのは、病がまだおきていない時、前もって、慎めば、病にならなく、もし、飲食、色欲などの心の欲を我慢できず、風・寒・暑・湿の外からの害を防がなければ、侵すことはすくないけれど、後々の病気は、長い大病となるのであります。内の欲と外の邪を慎まないことにより、大病となり、思った以上に深い憂いにおちいり、長く苦しむのは、病の常であります。


病をうくれば、病苦のみならず、いたき針にて身をさし、あつき灸にて身をやき、苦き薬にて身をせめ、くひたき物をくはず、のみたきものをのまずして、身をくるしめ、心をいたましむ。病なき時、かねて養生よくすれば病おこらずして、目に見えぬ大なるさいはいとなる。
病になれば、病の苦しみのみならず、針で身をさし、灸で身をやき、薬で身をせめ、食事もとれず、飲み物ものめず、体を苦しめ、心を痛めるのであります。常々養生をよくすれば、病気にならず、目に見えない大きな幸せになれるのであります。


孫子が曰「よく兵を用る者は赫々の功なし」。云意は、兵を用る上手は、あらはれたるてがら(手柄)なし、いかんとなれば、兵のおこらぬさきに戦かはずして勝ばなり。又曰「古の善く勝つ者は、勝ち易きに勝つ也」。養生の道も亦かくの如くすべし。
孫子が言うことに、「よく兵を用る者は赫々の功なし」とあります。その意味は、兵を旨く使える者は、目に見える手柄はない、なぜならば、兵を使わぬ先に戦わずして勝つからであります。またさらに言うに、古の善く勝つ者は、勝ち易きに勝つ也、とあります。養生の道もこのようになすべきであります。


心の内、わづかに一念の上に力を用て、病のいまだおこらざる時、かちやすき慾にかてば病おこらず。良将の戦はずして勝やすきにかつが如し。是上策なり。是未病を治するの道なり。
心のなかで、ただ一念の心掛けで、病気にならないうちに、勝ちやすい欲に勝たば、病もおこらないのであります。良将は戦わずに勝ちやすいことに勝つようなものであります。これが上策であります。これが、未病を治す方法なのであります。






たとえ財を得ても、多病にして短命なれば何もならない。

たとひ財禄を求め得ても、多病にして短命なれば、用なし。


1-32たとひ財禄を求め得ても、多病にして短命なれば、用なし。
世に富貴・財禄をむさぼりて、人にへつらひ、仏神にいのり求むる人多し。されども、其しるしなし。無病長生を求めて、養生をつつしみ、身をたもたんとする人はまれなり。富貴・財禄は外にあり。求めても天命なければ得がたし。
世には、地位や、財産をとめどなく欲しがり、人にへつらい、神、仏に祈り利益を求める人は多い。しかし、そのしるしはないのであります。無病長生きを求め、養生を慎み、身体を保とうとする人はまれであります。地位や財力は外にあるものであります。求めても天命がなければ得ることは出来ないのであります。


無病長生は我にあり、もとむれば得やすし。得がたき事を求めて、得やすき事を求めざるはなんぞや。愚なるかな。たとひ財禄を求め得ても、多病にして短命なれば、用なし。
無病長生きはわが身のことで、求めれば得やすいのであります。得がたきことを求め、たとえ得ることができても、病多く、短命ならば、用にたたないのであります。


生を養ふ人は、つとめて元気の滞なからしむ。

1-33生を養ふ人は、つとめて元気の滞なからしむ。
陰陽の気天にあつて、流行して滞らざれば、四時よく行はれ、百物よく生(な)る。偏にして滞れば、流行の道ふさがり、冬あたたかに夏さむく、大風・大雨の変ありて、凶害をなせり。人身にあっても亦しかり。
陰陽の気と言うものが、天にあって、流れて行き、滞らなければ、春夏秋冬がうまく流れ、すべての物がうまくなりたつのであります。偏って滞れば、流れの道はふさがり、冬暖かく、夏寒く、大風、大雨の異変があり、凶、害となるのであります。人の身にあっても、また同じであります。


気血よく流行して滞らざれば、気つよくして病なし。気血流行せざれば、病となる。其気上に滞れば、頭疼・眩暈となり、中に滞れば亦腹痛となり、痞満となり、下に滞れば腰痛・脚気となり、淋疝・痔漏となる。此故によく生を養ふ人は、つとめて元気の滞なからしむ。
気血がよく流れ、滞らなければ、気が強くなり病もないのであります。気血がながれなければ、病となるのであります。その気が上に滞れば、頭痛、めまいとなり、中に滞れば、腹痛となり、心下部苦痛になり、下に滞れば、腰痛・脚気となり、淋疝(排尿痛)・痔漏(じろう)となる。これゆえ、よく養生する人は、努力して、元気の滞りがないようにするのが肝心であります。


養生に志あらん人は、心につねに主あるべし。

1-34養生に志あらん人は、心につねに主あるべし。
養生に志あらん人は、心につねに主あるべし。主あれば、思慮して是非をわきまへ、忿をおさえ、慾をふさぎて、あやまりすくなし。心に主なければ、思慮なくして忿と慾をこらえず、ほしゐまゝにしてあやまり多し。
養生を志す人は、常に心の主がなければならないのであります。主あれば、思慮し是非を理解し、怒りを抑え、欲をおさえ、まちがいが少ないのであります。心に主がなければ、思慮がなければ、怒りと欲を我慢せず、やりたいだけやり、まちがいが多いのであります。


欲をこらえすまして、後は、よろこびとなる也。

1-35欲をこらえすまして、後は、よろこびとなる也。
万の事、一時心に快き事は、必後に殃(わざわい)となる。酒食をほしゐまゝにすれば快けれど、やがて病となるの類なり。はじめにこらゆれば必後のよろこびとなる。灸治をしてあつきをこらゆれば、後に病なきが如し。杜牧が詩に、忍過ぎて事喜ぶに堪えたりと、いへるは、欲をこらえすまして、後は、よろこびとなる也。
何事も、一時、快いことは、必ず後に、わざわいとなります。酒食を欲しいままにすれば、気持ちは良いが、やがて病となるようなものであります。初め我慢すれば、必ず、後の喜びとなる。灸をし、熱いのを我慢すれば、後に病にならないと言うようなことであります。杜牧の詩に、忍過ぎて事喜ぶに堪えたり、といっているのは、欲を堪えとうし、後はよろこびとなるこてであります。







言葉を慎み、欲を少しこらえ、養生の道に従う。

言語をつつしむも、亦徳をやしなひ、身をやしなふ道なり。


1-29言語をつつしむも、亦徳をやしなひ、身をやしなふ道なり。
言語をつつしみて、無用の言をはぶき、言をすくなくすべし。多く言語すれば、必(ず)気へりて、又気のぼる。甚(だ)元気をそこなふ。言語をつつしむも、亦徳をやしなひ、身をやしなふ道なり。
言語を慎み、無用の言葉を省き、口数を少なくすべきであります。多くしゃべりすぎると、必ず気力がへり、また気がのぼるのであります。大変気を痛めることになります。しゃべりを慎むのも、また徳を養い、身体を養う道であります。


大なる禍は、しばしの間、慾をこらえざるよりおこる。


1-30大なる禍は、しばしの間、慾をこらえざるよりおこる。
古語に曰、「莫大の禍は、須臾の忍ばざるに起る」。須臾とはしばしの間を云。大なる禍は、しばしの間、慾をこらえざるよりおこる。酒食・色慾など、しばしの間、少の慾をこらえずして大病となり、一生の災となる。一盃の酒、半椀の食をこらえずして、病となる事あり。
古い言葉に、莫大の禍は、須臾の忍ばざるに起るとあります。須臾とはほんのチョットの時のことであります。大きな禍は少しの間、欲を我慢できずに起きるのであります。酒食、色欲など、少しの間、少の欲を我慢できず、大病になり、一生の災いとなるのであります。一杯の酒、お椀半分の食をこらえられないで、病となるものであります。


慾をほしゐままにする事少なれども、やぶらるる事は大なり。たとへば、蛍火程の火、家につきても、さかんに成て、大なる禍となるがごとし。古語に曰ふ。「犯す時は微にして秋毫の若し、病を成す重きこと、泰山のごとし」。此言むべなるかな。
欲をほしいままにすることが少なくても、そのための損害は大であります。たとえば、蛍の火程度の火が、家についても、さかんに燃え立ち、大いなる損害になるようなものであります。古い言葉に、犯す時は微にして秋毫(生え変わったばかりの絨毛)の若し、病を成す重きこと、泰山のごとし、あります。この言葉はその通りであります。


凡(そ)小の事、大なる災となる事多し。小なる過より大なるわざはひとなるは、病のならひ也。慎しまざるべけんや。常に右の二語を、心にかけてわするべからず。
およそ、小さなことが、大きな災いとなることが多いのであります。小さな過ちから、大きな災いとなるのは、病気のすう勢であります。慎まなければなりません。常に、この二つの言葉を、心掛けて、忘れてはならないのであります。


養生の道なければ、天年をたもたずして早世する人多し。


1-31養生の道なければ、天年をたもたずして早世する人多し。
養生の道なければ、生れ付つよく、わかく、さかんなる人も、天年をたもたずして早世する人多し。是天のなせる禍にあらず、みづからなせる禍也。天年とは云がたし。つよき人は、つよきをたのみてつつしまざる故に、よはき人よりかへつて早く死す。
養生の道がなければ、生まれつき丈夫で、若く元気な人も、天命を保たず、早死にする人が多いのであります。これは、天からの災いではなく、自ら犯した禍であります。天命とは言えないのであります。丈夫な人は、その強さゆえ、慎みないゆえに、体の弱い人より早死にするのであります。


又、体気よはく、飲食すくなく、常に病多くして、短命ならんと思ふ人、かへつて長生する人多し。是よはきをおそれて、つつしむによれり。この故に命の長短は身の強弱によらず、慎と慎しまざるとによれり。白楽天が語に、福と禍とは、慎と慎しまざるにあり、といへるが如し。
また、体力がなく、飲食少なく、常に病気がちで、短命だろうと思われる人が、かえって、長生きする人が多いのであります。これは、弱い体を畏れ、用心するからでありあます。それゆえ、命の長短は体の強弱ではなく、慎みのありなしであります。白楽天の言葉に、福と禍とは、慎と慎しまざるにあり、というが、その言葉のごとしであります。







飲食の欲、好色の欲、睡眠の欲。

いにしへの人、三慾を忍ぶ事をいへり

1-28いにしへの人、三慾を忍ぶ事をいへり。
いにしへの人、三慾を忍ぶ事をいへり。三慾とは、飲食の欲、色の欲、睡(ねぶり)の欲なり。飲食を節にし、色慾をつつしみ、睡をすくなくするは、皆慾をこらゆるなり。飲食・色欲をつつしむ事は人しれり。只睡の慾をこらえて、いぬる事をすくなくするが養生の道なる事は人しらず。
昔の人は、三つの欲を我慢するようにと言っています。其の欲とは、飲食の欲、好色の欲、睡眠のよくであります。飲食を調節し、色の欲を慎み、眠りを少なくするのは、全て、欲を我慢することであります。飲食・色欲を慎むことは、人の知れることであります。ただ眠るだけの欲を我慢し、寝ることを少なくするのが養生の道であることは知らない人がいるのであります。


ねぶりをすくなくすれば、無病になるは、元気めぐりやすきが故也。ねぶり多ければ、元気めぐらずして病となる。夜ふけて臥しねぶるはよし、昼いぬるは尤(も)害あり。宵にはやくいぬれば、食気とゞこほりて害あり。ことに朝夕飲食のいまだ消化せず、其気いまだめぐらざるに、早くいぬれば、飲食とどこほりて、元気をそこなふ。
眠りを少なくすれば、病が無くなるのは、元気がめぐりやすくなる所以であります。眠りが多ければ、元気がめぐらなくなり、病となるのであります。夜ふけて床に入り眠るのはよいことであります。昼間眠るは、最大の害があるのであります。日暮れに早く眠ることは、食物が滞り害があるのであります。ことに、朝、夕、飲食物が消化せず、食の気がめぐっていないのに、早く寝れば、飲食滞って、元気をそこなうのでありあます。


古人睡慾を以、飲食・色慾にならべて三慾とする事、むべなるかな。おこたりて、ねぶりを好めば、くせになりて、睡多くして、こらえがたし。ねぶりこらえがたき事も、又、飲食・色慾と同じ。初は、つよくこらえざれば、ふせぎがたし。つとめてねぶりをすくなくし、ならひてなれぬれば、おのづから、ねぶりすくなし。ならひて睡をすくなくすべし。
昔の人が、睡眠の欲を、飲食、色欲に加え、三欲とするのは、もっともなことであります。怠け癖で、眠りを好めば、くせになり、眠り多くなり我慢がきかなくなるのであります。眠りを我慢できないことも、飲食色欲が我慢できないのと同じであります。初めはしっかりと我慢しなければ、防ぎにくいのであります。努力して眠りを少なくし、訓練しなれてくれば、自ずから眠りは少なくなるのであります。訓練学習し、眠りを少なくすべきであります。







養生の術に異論あり、しかし、それらは、養生の術を知らない人の疑問で、無理もないのであります。

養生の術をしらざる人のうたがひ、むべなるかな。

1-26養生の術をしらざる人のうたがひ、むべなるかな。
或人の曰(く)、養生の術、隠居せし老人、又年わかくしても世をのがれて、安閑無事なる人は宜しかるべし。
養生の術は、隠居した年寄り、また、若くても世の中から逃れ、のん気に何もしない人はよいのかも知れないが、とも言う人がいる。


士として君父につかへて忠孝をつとめ、武芸をならひて身をはたらかし、農工商の夜昼家業をつとめていとまなく、身閑ならざる者は養生成りがたかるべし。
武士として君主や、親に仕えまじめに勤め、武芸を習い、体を働かし、農工商では、昼夜家業に就き、時間なく暇もない者は養生など出来るわけがない。


かかる人、もし養生の術をもつぱら行はば、其身やはらかに、其わざゆるやかにして、事の用にたつべからずと云。是養生の術をしらざる人のうたがひ、むべなるかな。
このような人が、養生ばかりしていては、からだがやわになり、その技のろく、仕事の用にたたないと言うのであります。これは、養生の術を知らない人の疑いで、無理もないことであります。


養生の術は、安閑無事なるを専(もっぱら)とせず。心を静にし、身をうごかすをよしとす。身を安閑にするは、かへつて元気とどこほり、ふさがりて病を生ず。
養生の術は、気楽に、何もしないでいるのではないのであります。心を静かに、体を使うことが良いことであります。何もしないでいることは、かえって元気が滞り、気血流れ悪く、病気になるのであります。


たとへば、流水はくさらず、戸枢(こすう)はくちざるが如し。是うごく者は長久なり、うごかざる物はかへつて命みじかし。
たとえば、流水は腐らず、戸の回転部は腐らないようなことであります。このように、動く者は、長生きし、動かない者はかえって、命がみじかいのであります。


是を以、四民ともに事をよくつとむべし。安逸なるべからず。是すなわち養生の術なり。
この通りであるので、四民(士・農・工・商)ともに、仕事をよくしなけらばならないのです。安逸ではなりません。これが養生の術であります。



常に居ては常を行なひ、変にのぞみては変を行なふ。
其時にあたりて義にしたがふべし。


1-27およそのこと、常あり、変あり
或人うたがひて曰。養生をこのむ人は、ひとゑにわが身をおもんじて、命をたもつを専にす。されども君子は義をおもしとす。
ある人、疑いを持って言う。養生を好む人は、ただ、我が身を大事にするだけで、命を保てればよいとしている。しかし、君子は忠義を大事にする。


故に義にあたりては、身をすて命をおしまず、危を見ては命をさづけ、難にのぞんでは節に死す。もしわが身をひとへにおもんじて、少なる髪・膚まで、そこなひやぶらざらんとせば、大節にのぞんで命をおしみ、義をうしなふべしと云。
ゆえに、義にあたっては、身を捨て、命おしまず、危うい場面でも命をささげ、苦難にあっては、節操をもって死ぬ。もし、わが身のみ大事にし、たんに、髪・皮膚を傷つけないようにするなら、大事な時、命を惜しみ、義を失うであろうと言っているのであります。


答て曰、およその事、常あり、変あり。常に居ては常を行なひ、変にのぞみては変を行なふ。其時にあたりて義にしたがふべし。
その疑に答えて言うならば、物事すべて、日常と非常時があります。常にあっては常を行い、変にあたっては変を行う。その時々に遭遇して、義にしたがえばよいのであります。


無事の時、身をおもんじて命をたもつは、常に居るの道なり。大節にのぞんで、命をすててかへり見ざるは、変におるの義なり。
何事もない時は、体を大切にし命を守るのは、常の道であります。危機にのぞんで、命をすて、かえりみないのは、変の義であります。


常におるの道と、変に居るの義と、同じからざる事をわきまへば、此うたがひなかるべし。君子の道は時宜にかなひ、事変に随ふをよしとす。
常に対する道と、変に対する義との違いをわきまえていれば、このような、疑いはおきないのであります。君子の道は、時にあわせ、事変に従うを好しとするのであります。


たとへば、夏はかたびらを着、冬はかさねぎするが如し。一時をつねとして、一偏にかかはるべからず。殊に常の時、身を養ひて、堅固にたもたずんば、大節にのぞんでつよく、戦ひをはげみて命をすつる事、身よはくしては成がたかるべし。
たとえば、夏は一重を着、冬は重ね着をするようなものであります。いつも同じとして、一つ事に偏ってはなりません。ことに、日常、体を養い、強くしておかねば、大事にあたって強く、戦いに励み命を捨てることは、体が弱くては、出来ないことであります。


故に常の時よく気を養なはば、変にのぞんで勇あるべし。
ですから、常の時は、よく気を養っておけば、変にある時勇気が出るのであります。







楽しみなく、ただ、生きてさえいればいいと言うのでは、祝うべきことではありません。

いのちをたもつて長生するは至りて大事なり

1-25いのちをたもつて長生するは至りて大事なり
人の身のわざ多し。その事をつとむるみちを術と云。万のわざつとめならふべき術あり。其術をしらざれば、其事をなしがたし。其内いたりて小にて、いやしき芸能も、皆其術をまなばず、其わざをならはざれば、其事をなし得がたし。
人には色々な生きる道があります。その道をみがくのを術といいます。全ての技には、習うべき方法があります。その方法を知らなければ、そのことを出来るようにはなりません。その中でも、小さく、いやしい芸能も、みなその方法を学ばなければ、その技を習わなければ、そのことを成し遂げられないのであります。


たとへば蓑をつくり、笠をはるは至りてやすく、いやしき小なるわざ也といへども、其術をならはざれば、つくりがたし。いはんや、人の身は天地とならんで三才とす。かく貴とき身を養ひ、いのちをたもつて長生するは、至りて大事なり。
たとへば蓑をつくり、傘を張ったりするのは、やさしいく、いやしいことでありますが、その方法を知らなければ、作るのはむずかいいのであります。まして、人の身は天地とならんで三才と言いますが、こんなに貴い体を養い、命を保ち、長生きするのは、大変大事なことであります。


其術なくんばあるべからず。其術をまなばず、其事をならはずしては、などかなし得んや。然るにいやしき小芸には必(ず)師をもとめ、おしへをうけて、その術をならふ。
その術なくてはならないのであります。その術学ばず、そのことを習わなけずして、どうして、出来るものでありましょうか。それですから、どんなにいやしい芸でも、必ず、師を求め、教えを受け、その術を習うのであります。


いかんとなれば、その器用あれどもその術をまなばずしては、なしがたければなり。人の身はいたりて貴とく、是をやしなひてたもつは、至りて大なる術なるを、師なく、教なく、学ばず、習はず、これを養ふ術をしらで、わが心の慾にまかせば、豈其道を得て生れ付たる天年をよくたもたんや。
なぜならば、才能があっても、方法を学ばなければ、出来ないことであります。人の身は大変大事で、これを養い育てるのは、大変なことなのであります。師なく、教えなく、学ばず、習わず、これを養う方法を知らないで、我が心のままの欲にまかせれば、いかにして、その道を得て生まれつきの生命を保てることができましょうか。


故に生を養なひ、命をたもたんと思はば、其術を習はずんばあるべからず。夫養生の術、そくばくの大道にして、小芸にあらず。心にかけて、其術をつとめまなばずんば、其道を得べからず。其術をしれる人ありて習得ば、千金にも替えがたし。
ゆえに、養生し、命を保とうとするのでしたら、その方法を習わなければならないのであります。その養生の術は、大変な大道であり、小芸ではありません。心して、その術を学ばなければ、その道を得ることは出来ません。その方法を知った人から習えば、千金にもかえがたいのであります。


天地父母よりうけたる、いたりておもき身をもちて、これをたもつ道をしらで、みだりに身をもちて大病をうけ、身を失なひ、世をみじかくする事、いたりて愚なるかな。天地父母に対し大不孝と云べし。其上、病なく命ながくしてこそ、人となれる楽おほかるべけれ。
天地・父母に受けた、大変大事な体を持ち、この体を保つ方法を知らないで、やたらに、身をもちくずし、大病になり、身を失い、命を短くすることは、とても愚かであります。天地・父母にたいし、おおいなる不幸といえます。病気をせず、長生きしてこそ、人として、楽しみの多いことでありましょうか。


病多く命みじかくしては、大富貴をきはめても用なし。貧賤にして命ながきにおとれり。わが郷里の年若き人を見るに、養生の術をしらで、放蕩にして短命なる人多し。又わが里の老人を多く見るに、養生の道なくして多病にくるしみ、元気おとろへて、はやく老耄す。
病気がちで、命短くては、富があり、地位がたかくても、なにも用がたちません。貧賤で長生きした者より劣るのであります。我が郷里の若者を見るに、養生の方法を知らないで、放蕩して短命な人が多いのであります。また、我が里の老人を見るに、養生の道なく多病に苦しみ、元気なく、早くもうろくしてしまうのであります。


此如くにては、たとひ百年のよはひをたもつとも、楽なくして苦み多し。長生も益なし。いけるばかりを思ひでにすともともいひがたし。
このようなことでは、たとえ、百年の命を保っても、楽しみなく、苦しみが多いものであります。これでは、長生きも益のないことであります。ただ生きているだけでは、祝うべきことではないのであります。








努力し、体を動かし、気を循環し、怠けずにいなければならないのです。

養生の術は つとむべきことをつとめ
身をうごかし 気をめぐらすをよしとす


1-24身をうごかし、気をめぐらすをよしとす
養生の術は、つとむべきことをよくつとめて、身をうごかし、気をめぐらすをよしとす。
養生の方法は、やるべきことをやり、体を動かし、気を循環させるのが良いことであります。


つとむべきことをつとめずして、臥すことをこのみ、身をやすめ、おこたりて動かさざるは、甚(だ)養生に害あり。久しく安坐し、身をうごかさざれば、元気めぐらず、食気とどこほりて、病おこる。
やるべきことをやらず、寝ることを好み、体を休め、怠け、動かなければ、養生に害があります。長く楽に座り続け、体を動かさないでいれば、元気のめぐりが悪くなり、食物が消化せず、病気になります。


ことにふすことをこのみ、眠り多きをいむ。食後には必ず数百歩歩行して、気をめぐらし、食を消すべし。眠りふすべからず。
とくに、寝ることが好きで、眠り過ぎは良くないのであります。食後は必ず、数百歩は歩き、気をめぐらし、食物を消化させるべきであります。眠りこんではいけません。


父母につかへて力をつくし、君につかへてまめやかにつとめ、朝は早くおき、夕はおそくいね、四民ともに我が家事をよくつとめておこたらず。士となれる人は、いとけなき時より書をよみ、手を習ひ、礼楽をまなび、弓を射、馬にのり、武芸をならひて身をうごかすべし。
父母につかえ、力をつくし、君主につかえ、忠実につかえしっかり働き、朝は早く起き、夕は遅く寝、他の者(四民)(士・農・工・商)ともに、我が家の家事をよくつとめ、怠けてはいけないのであります。武士である者は、幼い時より、書を読み、手習いをし、礼節、楽しみを学び、弓を射り、馬に乗り、武芸を学び、体をうごかすべきであります。


農・工・商は各その家のことわざ(事業)をおこたらずして、朝夕よくつとむべし。婦女はことに内に居て、気鬱滞しやすく、病生じやすければ、わざをつとめて、身を労動すべし。
農・工・商は、各自家の仕事を怠けず、朝晩、よく働くべきであります。女性は、家の中にいて、気がとどこおりやすく、病気になりやすいので、仕事をしっかりこなし、体を働かせるべきであります。


富貴の女も、おや、しうと、夫によくつかへてやしなひ、お(織)りぬ(縫)ひ、う(紡)みつむ(績)ぎ、食品をよく調(ととのえ)るを以て、職分として、子をよくそだて、つねに安坐すべからず。
富貴の女性も、親、舅姑、夫によくつかえ、世話し、織り、縫ひ、紡績ぎ、食品をよく調理し、職分として、子をよくそだて、常に、楽に座ってばかりいてはならないのであります。


かけまくもかたじけなき天照皇大神も、みづから神の御服(みぞ)をおらせたまひ、その御妹稚日女尊も、斎機殿(いみはたどの)にましまして、神の御服をおらせ給ふこと、『日本紀』に見えたれば、今の婦女も昔かかる女のわざをつとむべきことこそ侍べれ。
口にするのももったいない、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)も、自身で神の御服(みぞ)を織られたし、その御妹、稚日女尊(わかひるめのみこと)も、斎機殿(いみはたどの)におられた折、神の御服を織られたことが、『日本紀』ににも見られるので、今の女性も昔からの女の仕事をつとめるべきことはいいうまでもありません。


四民ともに家業をよくつとむるは、皆これ養生の道なり。つとむべきことをつとめず、久しく安坐し、眠り臥すことをこのむ。これ大に養生に害あり。かくの如くなれば、病おほくして短命なり。戒むべし。
四民(士・農・工・商)ともに家業をよく勤めるのは、みなこれ養生の道理であります。努力することを努力せず、長く楽に座りづづけ、眠り、横になることをこのむ。これは大変養生に害のあることであります。このようになると、病気も多くなり、早死であります。戒めなければまりません。








人の命はなぜこんなに短いのか、思うと、身にしみ、悲しくて涙がこぼれる。

元気をたもつ道二あり。

1-21元気をたもつ道二あり
生を養ふ道は、元気を保つを本とす。元気をたもつ道二あり。
命を養生する道は生命力を保護するのが根本であります。その道は二つあります。


まづ元気を害する物を去り、又、元気を養ふべし。元気を害する物は内慾と外邪となり。すでに元気を害するものをさらば、飲食・動静に心を用て、元気を養ふべし。
まず、命を害するものを取り去り、元気をよしなわなければなりません。元気を害するものは、内の欲と外の邪気であります。すでに、元気を害するものを取り去ったなら、飲食、日常の行動に用心し、元気をやしなうことであります。


たとへば、田をつくるが如し。まづ苗を害する莠(はぐさ)を去て後、苗に水をそそぎ、肥をして養ふ。養生も亦かくの如し。まづ害を去て後、よく養ふべし。たとへば悪を去て善を行ふがごとくなるべし。
たとえば、田を作るようなものであります。まず、苗を害する雑草を取り、後苗に水を与え、肥料をほどこす。養生もこのようなことであります。まず、害を取り去って、良くやしまうべきであります。たとえとして、悪を取り、善を行うようなことになるのであります。


気をそこなふ事なくして、養ふ事を多くす。是養生の要なり。つとめ行なふべし。
気を失うことなく、養うことを多くすることであります。これが、養生の大事な要素であります。努めて、行うことであります。



人の楽しむべきこと三あり

1-22人の楽しむべきこと三あり
およそ人の楽しむべき事三あり。一には身に道を行ひ、ひが事なくして善を楽しむにあり。二には身に病なくして、快く楽むにあり。三には命ながくして、久しくたのしむにあり。富貴にしても此三の楽なければ、まことの楽なし。
おおむね、人の楽しむべきことは三つあります。一に自身の道理を実行し、間違いをなくして、善を楽しむことであります。二には、体に病気なく、心地よく楽しむことであります。三に長生きし、長く楽しむことであります。富や地位があっても、この三楽がなければ、本当の楽しみではありません。


故に富貴は此三楽の内にあらず。もし心に善を楽まず、又養生の道をしらずして、身に病多く、其はては短命なる人は、此三楽を得ず。
ゆえに、富貴はこの三楽の内にはないのであります。もし、心に善を楽しまず、また、養生の方法を知らないで、病気も多く、その終末の短命な人は、この三楽を得られないのであります。


人となりて此三楽を得る計なくんばあるべからず。此三楽なくんば、いかなる大富貴をきはむとも、益なかるべし。
人として暮らすならば、この三楽を得ることを考えなくてはなりません。この三楽なければ、どんな富、地位を得ようともなんにもならないのであります。



人の命は百年にもみたず

1-23人の命は百年にもみたず
天地のよはひは、邵尭夫(しょうぎょうふ)の説に、十二万九千六百年を一元とし、今の世はすでに其半に過たりとなん。前に六万年あり、後に六万年あり。
天地の年齢は、邵尭夫(しょうぎょうふ)の説に、129,600年を一元といい、今の世はすでにその半分を過ぎたと申しております。前6万年、後6万年であります。


人は万物の霊なり。天地とならび立て、三才と称すれども、人の命は百年にもみたず。天地の命長きにくらぶるに、千分の一にもたらず。天長く地久きを思ひ、人の命のみじかきをおもへば、ひとり愴然としてなんだ下れり。
人は万物の長であります。天地人を三才ともうしますが、人の命は百年にも満たないのであります。天地の命の長さに比べますと、千分の一にもたりません。天は長く、地は、久くを思い、人の命だけが、こんなにも短いことを思うと、ひとり、身にしみ悲しみ、涙がこぼれてくるのであります。


かかるみじかき命を持ながら、養生の道を行はずして、みじかき天年を弥(いよいよ)みじかくするはなんぞや。人の命は至りて重し。道にそむきて短くすべからず。
このような短い命を持ちながら、養生の道を行わず、短い天命をいよいよ短くするのはなぜなのでしょうか。人の命は大変重いのであります。道理に背いて、短くしてはならないのであります。







人の体は弱く脆い、はかないことは、風前のともし火のようであります。

人の身はよはく、もろくして、あだなる事風前の燈火が如し。

1-20内敵と外敵
およそ人の身は、よはくもろくして、あだなる事、風前の燈火(とぼしび)のきえやすきが如し。あやうきかな。つねにつつしみて身をたもつべし。
おおむね、人の身体は、弱くもろく、はかない事は風前の灯の消えやすいようなものであります。あぶないことであります。常に慎みをもって、身体を保つべきであります。


いはんや、内外より身をせむる敵多きをや。先飲食の欲、好色の欲、睡臥の欲、或(は)怒、悲、憂を以(て)身をせむ。是等は皆我身の内よりおこりて、身をせむる欲なれば、内敵なり。中につゐて飲食・好色は、内欲より外敵を引入る。尤おそるべし。
ましてや、内外から身体を攻める敵が多いのですから。まず、飲食の欲、好色の欲、臥して眠る欲、あるいは、怒、悲、憂により身体を攻めるのであります。これらは、みな我が身の内よりおこり、身体を攻める欲で、内なる敵であります。その中でも、飲食・好色は内欲より外敵を引きいれてきます。もっと恐ろしいことであります。


風・寒・暑・湿は、身の外より入て我を攻る物なれば外敵なり。人の身は金石に非ず。やぶれやすし。況(や)内外に大敵をうくる事、かくの如にして、内の慎、外の防なくしては、多くの敵にかちがたし。至りてあやうきかな。
風・寒・暑・湿は、体の外より入り、自分を攻めるので、外敵です。人の身体は金、石ではありません。壊れやすいものです。こんなに内外に大敵をうけるのですから、内なる慎み、外の防御なくしては、多くの敵にかてません。まことに危ういことでありましょうか。


此故に人々長命をたもちがたし。用心きびしくして、つねに内外の敵をふせぐ計策なくむばあるべからず。敵にかたざれば、必せめ亡されて身を失ふ。
こんな理由で、人は長生きし難いのであります。用心をきびしくし、常に内外の敵を防ぐ考えがなければなりません。敵に勝たなければ、必ず、攻めほろぼされ、身体をなくしてしまいます。


内外の敵にかちて、身をたもつも、其術をしりて能(く)ふせぐによれり。生れ付たる気つよけれど、術をしらざれば身を守りがたし。たとへば武将の勇あれども、知なくして兵の道をしらざれば、敵にかちがたきがごとし。
内外の敵に勝って、身体を保てるのも、その方法を知ってうまく防ぐことによるのであります。生まれつき生命力があっても、生かす方法を知らなければ身体を守れません。たとえば、勇気ある武将でも、知恵なく、兵法を知らなければ、敵に勝てないようなものであります。


内敵にかつには、心つよくして、忍の字を用ゆべし。忍はこらゆる也。飲食・好色などの欲は、心つよくこらえて、ほしいままにすべからず。心よはくしては内欲にかちがたし。
内なる敵に勝つには、精神を強くし、忍ぶ字を用いることであります。忍は自重することです。飲食・好色などの欲は、心強くがまんし、好き勝手にしないことであります。心弱くては、内なる欲に勝てないのであります。


内欲にかつ事は、猛将の敵をとりひしぐが如くすべし。是内敵にかつ兵法なり。
内欲に勝つのは、猛将が敵をとりおさえるようにすべきであります。これが、内敵に勝つ兵法であります。


外敵にかつには、畏の字を用て早くふせぐべし。たとへば城中にこもり、四面に敵をうけて、ゆだんなく敵をふせぎ、城をかたく保が如くなるべし。
外敵に勝つには、畏れ(おそれ)の字を用いて早く防ぎべきであります。たとえば、城にたてこもり、四方に敵をうけ、油断無く敵を防ぎ城を強く守るごときであります。


風・寒・暑・湿にあはば、おそれて早くふせぎしりぞくべし。忍の字を禁じて、外邪をこらえて久しくあたるべからず。
風・寒・暑・湿にあった時、畏れ早く防ぎ遠ざけるべきであります。我慢するもではなく、外の邪は我慢して長くさらしてはいけないのであります。


古語に「風を防ぐ事、箭を防ぐが如くす」といへり。四気の風寒、尤おそるべし。久しく風寒にあたるべからず。凡(そ)是外敵をふせぐ兵法なり。
古い言葉に、風を防ぐ事、矢を防ぐが如くす、と言っています。四つのこのうち、風、寒は、なお恐ろしいのであります。長く、風、寒にあたってはいけません。おおよそ、これが、外敵を防ぐ兵法であります。


内敵にかつには、けなげにして、つよくかつべし。外敵をふせぐは、おそれて早くしりぞくべし。けなげなるはあしし。
内の敵に勝つには、勇ましく、強く勝たなければなりません。外の敵を防ぐには、畏れ早く退散するのがよいことであります。勇ましく立ち向かうのは悪いことであります。








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